【書評】見るとはなにか?伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』 が教えてくれること

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こんにちは。今回は『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という本を紹介したいと思います。 

目の見えない人の世界を、私たちはどれだけ理解できているでしょうか。伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』との出会いは、そんな素朴な疑問から始まりました。 

きっかけは、視力を失った愛猫でした。彼女がどのように周囲の世界を感じているのか、私は強く知りたいと思いました。そんな折、この本のタイトルが目に飛び込んできたのです。 

本書は、視覚障害者へのインタビューや体験を通じて、「見る」ことの本質的な意味を探求しています。単なる解説書ではなく、私たちが普段無意識に依存している視覚の在り方に、新しい視点を提供してくれます。 

著者は、視覚に頼らない知覚の可能性を丁寧に描き出します。私たちが見落としている世界の側面や、視覚障害者の方々が感じる豊かな世界の広がりに、読者は驚くことでしょう。 

この本を読むことで、「見える」ということの意味を、もう一度考え直すきっかけになるはずです。私たちの常識を静かに、しかし確実に揺さぶる、そんな一冊です。 

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著者『伊藤亜紗』 氏のプロフィールと本書の背景 

カテゴリ詳細情報
基本プロフィール
  • 東京工業大学リベラルアーツセンター准教授
  • 専門分野:美学、現代アート
  • 研究テーマ:身体と感覚の本質的な探求
本書の特徴
  • 視覚障害者との深い交流とインタビューに基づく研究
  • 「見ること」の概念を根本から問い直す挑戦的な著作
  • 視覚中心的な世界観への新たな視点の提示
著者の目的
  • 視覚障害者の多様な世界認識を社会に伝える
  • 感覚や認識の多様性を尊重する社会づくりへの貢献
  • 私たちが無意識に依存している「視覚」の常識への挑戦
本書の意義
  • 単なる障害の解説ではなく、人間の知覚の本質を探る
  • 多様な感覚の可能性を開く知的な挑戦
  • 共感と理解を深める重要な学術的・社会的アプローチ

本書のテーマ:「目の見えない人がどのように世界を感じているか」 

本書の核心テーマは、「視覚」を持たない人々がどのようにして世界を捉え、感じているのかを明らかにすることです。視覚障害者は、目の見える人とは異なる方法で周囲を理解しています。以下はその主な特徴です。 

視覚障害者の空間認識と感覚活用に関する洞察
セクション詳細具体的な例
1. 空間認識の特異性立体的・俯瞰的な理解
  • 足元の傾斜、音の反響などを通じて、空間全体を包括的に把握
  • 晴眼者の平面的・部分的認識との対比
太陽の塔の認識
  • 晴眼者:「正面」「裏側」といった限定的な視点
  • 視覚障害者:触覚や音声ガイドを通じた全体構造の等価理解
2. 感覚の多様な活用2.1 触覚:「読む手」による認識
  • 物体を触ることで、表面だけでなく全体像を理解
2.2 聴覚:「眺める耳」による空間把握
  • 音の反響や方向性を利用した空間や障害物の位置認識
  • エコーロケーションによる環境の「視覚化」
2.3 感覚の統合
  • 触覚、聴覚などの断片的情報の統合による全体像構築
触覚の例
  • 建築模型を通じた構造と配置の立体的理解
感覚統合の例
  • 坂道歩行時の足元の傾斜と音の変化による地形理解
3. 情報処理の創造的アプローチ3.1 情報統合と再構築
  • 他者の言葉を通じた新たなイメージ形成
3.2 身体的適応
  • 身体全体を使った環境適応の「構え」
情報統合の例
  • 美術館の「ソーシャルビュー」での作品理解
身体的適応の例
  • 歩行中の足の触覚を活用した地面状態の確認

空間認識の違い 

目の見える人は物事を平面的に認識する傾向があるのに対し、視覚障害者は「視点」を持たないため、物事を立体的かつ俯瞰的に捉える能力があります。例えば、足元の微妙な傾斜や音の反響などから、空間全体を把握するのです。 

太陽の塔と視覚障害者の認識 

太陽の塔(1970年大阪万博のシンボル)は、視覚障害者と晴眼者の空間認識の違いを理解する上で象徴的な例として本書で言及されています。 

  • 晴眼者の認識: 晴眼者は、太陽の塔を「正面」「裏側」といった視点に基づいて認識します。例えば、塔の正面にある「現在の顔」や背面の「過去の顔」など、視覚的な情報を基に塔を部分的に捉える傾向があります。 
  • 視覚障害者の認識: 一方で、視覚障害者は「視点」という概念がないため、太陽の塔を表裏の区別なく、全体として立体的に捉えます。触覚や音声ガイドを通じて塔の形状や構造を理解し、晴眼者が見逃しがちな「全体像」を把握する能力があるとされています。 

具体例: 太陽の塔には3つの顔(正面、上部、背面)があることが知られていますが、晴眼者は視覚的な制約から一度にすべての顔を認識することが難しいのに対し、視覚障害者は触覚や説明を通じてこれらを等価に理解します。このように、視覚障害者は視覚に頼らない認識方法によって、晴眼者とは異なる「全体的な視点」を持つことができるのです。

感覚の活用 

視覚以外の感覚、特に触覚や聴覚を活用することで、目の見える人が見逃してしまう「別の世界の顔」に気づきます。著者はこれを「読む手」や「眺める耳」といった表現で表し、感覚の多様性を強調しています。 

1. 触覚の活用:物体を「読む手」 

視覚障害者は、触覚を通じて物体の形状や質感を詳細に把握します。触れることで、目の見える人が視覚的に捉える「表面」だけでなく、「裏側」や「全体像」を等価に認識することが可能です

  • 具体例: 視覚障害者が模型を触る際、晴眼者が視覚的に平面的に捉えるのに対し、触覚を通じて立体的に把握します。例えば、建築物の模型を触ることで、全体の構造や配置を理解し、晴眼者が見逃しがちな細部にも気づくことができます。 
  • 著者の観察: 晴眼者は視覚的な「視点」に縛られ、物体の一部しか認識できないことが多いのに対し、視覚障害者は触覚を通じて物体の「全体」を俯瞰的に捉える能力を持つとされています. 

2.聴覚の活用:「眺める耳」 

聴覚は、視覚障害者にとって空間を把握する重要な感覚です。音の反響や方向性を利用して、物体の位置や距離、空間の広がりを認識します。 

  • 具体例: 視覚障害者が歩行中に舌打ちや足音の反響を利用して、周囲の壁や障害物の位置を把握することがあります。この「エコーロケーション」のような技術は、視覚に頼らずに空間を「見る」方法の一例です. 
  • 著者の観察: 視覚障害者は、音の微妙な変化や方向性に敏感であり、例えば坂道を下る際に足音の変化から地形を「山の斜面」として認識することができると述べられています. 

3.感覚の統合による俯瞰的な認識 

視覚障害者は、触覚や聴覚などの感覚を統合し、断片的な情報から全体像を構築します。このプロセスにより、視覚に頼る晴眼者とは異なる「俯瞰的な視点」を持つことが可能です。 

  • 具体例: 著者が視覚障害者と坂道を歩いていた際、視覚障害者が「ここは山の斜面ですね」と表現したエピソードがあります。晴眼者が単なる坂道としか認識しない場所を、視覚障害者は足元の傾斜や音の変化から地形全体として捉える能力を示しています. 

4.「別の世界の顔」に気づく感覚の多様性 

著者は、視覚障害者の感覚の使い方を通じて、晴眼者が見逃しがちな「別の世界の顔」に気づく重要性を強調しています。視覚に頼らない認識は、視覚中心の世界観を超えた新たな可能性を示します。 

  • 具体例: 美術館でのワークショップ「ソーシャルビュー」では、視覚障害者が触覚や聴覚を通じてアート作品を「鑑賞」します。晴眼者が視覚的に捉える作品の印象を言葉で共有することで、視覚障害者はその情報を統合し、自分の中で作品を構築します。このプロセスは、視覚に頼らない新たな「見る」方法を示しています. 

情報処理の工夫 

視覚に頼らない分、限られた情報を組み合わせ、効率的に処理している点も重要です。この過程で、独自の適応力や創造力が発揮され、視覚中心ではない新しい認識の可能性が提示されます。 

1.限られた情報を統合する能力 

視覚障害者は、触覚や聴覚などの感覚を駆使し、断片的な情報を組み合わせて全体像を構築します。この情報処理の工夫により、視覚に頼らない認識が可能となります。 

具体例: 著者が視覚障害者と東京・大岡山を歩いていた際、15メートルほどの坂道を下る中で、視覚障害者が「ここは山の斜面ですね」と表現しました。視覚情報がないにもかかわらず、足元の傾斜や音の反響などの限られた情報を統合し、地形全体を俯瞰的に捉える能力を示しています。

2.聴覚を活用した空間認識 

視覚障害者は、音の反響や方向性を利用して空間を把握します。この「エコーロケーション」のような技術は、視覚に頼らずに周囲の環境を認識するための重要な手段です。 

具体例: 歩行中に舌打ちや足音の反響を利用して、壁や障害物の位置を把握する方法があります。これにより、視覚障害者は周囲の空間を立体的に「見る」ことが可能となります. 

3.触覚を通じた情報の「読む」能力

触覚は、視覚障害者にとって物体の形状や質感を把握するための重要な感覚です。触れることで、物体の「表面」だけでなく「裏側」や「全体像」を等価に認識することができます。 

具体例: 視覚障害者が建築物の模型を触る際、晴眼者が視覚的に平面的に捉えるのに対し、触覚を通じて立体的に把握します。このように、触覚を活用することで、視覚中心の認識では見逃されがちな細部や全体像を理解することが可能です. 

4.言葉を通じた情報の再構築 

視覚障害者は、他者との対話を通じて情報を補完し、自分の中で新たな認識を構築します。このプロセスでは、視覚情報がなくても他者の言葉をつなぎ合わせることで、独自のイメージを形成します。 

具体例: 美術館で行われる「ソーシャルビュー」というワークショップでは、視覚障害者が晴眼者の言葉を聞き、それを基に自分の中で作品を構築します。晴眼者が感じたことや思い出したことを言葉で共有することで、視覚障害者はその情報を統合し、視覚に頼らない鑑賞体験を得ることができます。 

5.視覚に頼らない「構え」の工夫 

視覚障害者は、身体全体を使って環境に適応する「構え」を自然に身につけています。これにより、予測不能な状況にも柔軟に対応することが可能です。 

具体例: 視覚障害者が歩行中に足を触覚的に使い、地面の状態を確認しながら進む方法があります。これにより、転倒のリスクを減らし、安全に移動することができます. 

6.視覚中心ではない新しい認識の可能性

視覚障害者の情報処理の工夫は、視覚中心の認識にとらわれない新しい可能性を提示しています。視覚がないことで、他の感覚が研ぎ澄まされ、視覚中心の世界観では見逃されがちな「別の世界の顔」に気づくことができます。 

具体例: 視覚障害者は、視覚情報がない分、音や触覚を通じて空間を三次元的に捉える力を持っています。このような認識は、晴眼者が無意識に見逃している世界の豊かさを教えてくれます. 

印象に残ったポイント:視覚障害者の認識が開く「別の扉」 

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の中で特に印象に残ったのは、「見えないことは『欠落』ではない。見えないことによって、知覚と認識に『別の扉』が開かれているのだ。」というメッセージです。この言葉は、視覚障害者が持つ世界の捉え方がいかに独自であり、私たちの固定観念を超えた視点を提示しているかを象徴しています。 

空間認識の違いが示す新しい視点 

目が見える人は、物事を平面的に捉える傾向がありますが、視覚障害者は触覚や聴覚、空間のわずかな変化を駆使し、物事を立体的かつ俯瞰的に把握します。例えば、坂道のわずかな傾斜を感じ取り、「ここが山である」と気づくエピソードは驚きに満ちています。この感覚は、視覚に頼る私たちには想像しがたいものであり、視覚以外の感覚がどれだけ鋭敏であるかを教えてくれます。 

「視点がない」という強み 

視覚障害者には、私たちが持つ「視点」が存在しません。その結果、表も裏も等価に扱うことができ、目に見える情報だけでは捉えきれない物事の「別の顔」を浮き彫りにする力があります。この視点の欠如は、決して弱点ではなく、新しい思考方法や物事の捉え方のヒントになると感じました。 

感覚の再評価と多様性の受容 

本書を通じて学んだ大きな気づきは、視覚以外の感覚の重要性です。「読む手」や「眺める耳」といった表現は、私たちが見逃しがちな感覚の可能性を提示しています。こうした感覚の活用は、「見る」という行為が必ずしも視覚に限定されないことを示し、知覚の多様性を肯定しています。 

ユーモアと逆境を超える力 

また、視覚障害者の中には、ユーモアを持ちながら逆境を乗り越える人々が多いことも印象的でした。困難な状況にあっても、物事を前向きに捉える姿勢は、生活全体を豊かにする力を持っています。このポジティブな態度は、視覚障害者だけでなく、私たち全員が学ぶべきものです。 

本書を通じて考えさせられたこと 

視覚がもたらす認識の限界と新たな気づき 

本書『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を通じて、私が特に考えさせられたのは、「視覚」が持つ二面性についてです。視覚は多くの情報を私たちに提供しますが、同時にその情報量が多すぎるがゆえに、他の感覚や認識を妨げる側面もあるのではないかという点に気づかされました。 

例えば、視覚情報を失った方々が、聴覚や触覚、嗅覚を通じて得る世界の「豊かさ」は、私たちの普段の生活では見過ごされがちです。「読む手」や「眺める耳」といった表現は、単に視覚の代替として感覚を活用するだけではなく、それぞれの感覚が本来持つ可能性を最大限に発揮していることを示しています。これを読んで、自分が普段どれだけ視覚に頼り、他の感覚を軽視していたのかを痛感しました。 

また、視覚を持たない方々がユーモアを持って日々を過ごしているという点も深く心に残りました。自動販売機で飲み物を購入する際、「何が出てくるかわからない」という状況を不便だと捉えるのではなく、むしろ「ギャンブル」として楽しむ。その前向きな姿勢には、日々の困難を軽やかに乗り越えるための大きなヒントが隠されているように思います。私たちが「不便」や「欠点」として見ているものも、見方を変えれば新しい価値を見いだせるのではないでしょうか。 

「見る」という行為の本質と空間認識の違い 

特に印象に残ったのは、目の見える人が物事を平面的に捉えるのに対し、視覚障害者の方々は「視点」を持たず、立体的・俯瞰的に世界を認識しているという点です。目が見える私たちは、どうしても「視点」という概念に縛られ、一つの方向から物事を判断しがちです。しかし、視覚障害者の方々は表も裏も等価に捉え、偏りのない新たな視点を提供してくれます。 

例えば、書中で紹介されている、坂道の感覚だけで「ここは山なんだ」と気づくエピソードには驚かされました。足元の微妙な傾斜や風の流れ、音の反響など、視覚情報では気づきにくい要素を統合して空間を認識する力は、視覚を持たないからこそ発達したものでしょう。これを知ったとき、自分の「見る」という行為が、どれだけ狭い範囲に限定されているかを思い知らされました。 

視覚情報から離れることの意味 

また、本書を読んで、自分がいかに「余計な視覚情報」に支配されているかを考えさせられました。情報社会の中で、目に入るものが次々と意識を奪い、多くのエネルギーを消耗しているのではないでしょうか。一方で、視覚がない生活では余計な情報が入らず、その分思考に余裕が生まれるといいます。こうした余裕が、新しい創造性や集中力の向上につながる可能性があるという点は、特に興味深いものでした。 

視覚情報を減らしてみる、たとえば目を閉じて日常を体験してみることで、普段は気づかない音や感触、匂いといった情報に意識を向けることができるはずです。実際に目を閉じて歩いてみた経験から、私は「不安」の裏にある「新鮮さ」を感じ取りました。 

本書が与える新たな視点 

最終的に、本書は私たちが「見る」という行為を見直し、視覚だけに頼らず、他の感覚や認識の方法に目を向ける重要性を教えてくれます。また、視覚障害者の方々の知覚世界は、私たちの想像を超えた豊かさと創造性に満ちており、「障害」を新しい可能性の出発点と捉える視点をもたらしてくれました。 

視覚がなくても、人生を楽しむ工夫をしながら前向きに生きる姿勢は、私たちにとっても大切な教訓です。視覚情報から解放されることで、自分が本当に何を見ているのか、そして見逃しているのかを知る機会が得られるのではないでしょうか。視覚の有無にかかわらず、私たちはもっと感覚を活用して、世界の「別の顔」を探るべきだと思います。 

まとめ:世界の別の顔を知るための一冊 

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』は、視覚を持たない人々の世界を通じて、私たちが普段当たり前と思っている「見る」という行為を問い直すきっかけを与えてくれます。その中には、視覚中心の生活では気づけない、新しい価値観や生き方のヒントが詰まっています。 

この本を読むことで、私たちの認識の枠組みを広げ、多様性を尊重する心が育まれるでしょう。そして、視覚以外の感覚を再評価することで、日常生活をより豊かにする新しい視点を得ることができるはずです。ぜひ手に取って、世界の別の顔を探求してみてください。 

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